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なるほど法話 海 潮 音      


生活 第19話  時の早さ    

 当山では地元のお檀家さんで月命日のおつとめを希望されるお宅には毎月お伺いしてお経をあげています。お経が終わるとお茶を頂きながら雑談も致します。

ある一人暮らしのおばあさんのお宅で「時の経つのは何とまあ早いことですね。お正月が来たと思ったら、もう三月も終わろうとしています。」という話になりました。

時の早さはどなたも実感されていることと思いますが、どうしてこんなに早く感じるのだろうかと、話をしながら考えました。

子供の時は、今と比べてこんなに早くは感じなかったのではないかと思います。大人になると色々と仕事に追われるために、時の早さを感じるのかもしれません。

しかし、目の前のおばあさんは一人暮らしとはいえ、仕事に追われているようには見えないのですが、「ほんとに早いですね。どうしたというんでしょう。」と実感されていることしきりでした。

ということは、時の早さの実感は必ずしも仕事に追われていることが主要な原因とはいえないようです。

それでは他にどんなことが原因と考えられるでしょうか。簡単には思いつかなかったものですから、おばあさんとの雑談の中では結局答は出せずじまいで終わりました。

しかし、私の頭の中は「原因は何だろう」でいっぱいでしたので、車に乗っても考えていました。考え事をしながらの運転は極めて危険ですから、軽く流しておいて、お寺に帰ってからゆっくり考えることにしました。

というわけで、今、自分の部屋に入りパソコンに向ってキーボードをたたきながら考えている最中です。しかし、答は出ていません。

出ていませんが、徒然に考えてみて少しばかり思い当たるのは、子供の頃には、「待ち遠しい」という思いがあったということです。「早く来い来いお正月・・・」という歌も歌いました。こんな「待ち遠しい」という思いがあれば、時の経つのがまどろこしいと感じるのではないでしょうか。

ところが、今、私には「待ち遠しい」という思いがありません。「待ち遠しい」とは未来に明るい光を見ているのでしょうから、そんな思いがないということは、明るい未来がないことを意味しているのでしょうか。

必ずしも未来が真っ暗だとも思えないのですが、「待ち遠しい」という思いがないのは確かな気がします。

既に還暦を過ぎた人間だからでしょうか。或は「待ち遠しい」とは、その光を獲得するのに自分の力では如何ともしがたいと解っている人間が感じるものなのでしょうか。

逆に大人になった人間は何でも自分で獲得できると錯覚しているということなのでしょうか。(平成二十一年四月) 

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。