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なるほど法話 海 潮 音      


生活 第16話  多久聖廟    

 正月休みを利用して佐賀県多久(たく)市にある佐賀藩多久学校の聖廟(せいびょう)を見学してきました。

 江戸時代の各藩では藩の人材育成のため藩校を運営し、萩藩でも享保三年(1718)に藩校明倫館が堀内に創建されました。

嘉永二年(1849)に江向に移転拡張され、敷地面積は旧来の10倍以上となり、そこに建坪2,734坪余の諸舎が建立されました。その中心となる建物が聖廟です。

聖廟には孔子が学神として祀られ、年2回の釈菜(せきさい)という祭りが営まれました。春は藩主自ら祭り、秋は学頭に祭らせ、藩主も参堂しました。この聖廟で執り行われる釈菜は学校行事中最も荘重盛大に行われたといわれます。

 明治七年(1874)の海潮寺の火災後、伽藍の再建にあたって、使用済みとなっていた明倫館の聖廟を海潮寺の本堂として移築し、現在に至っています。本堂が元藩校の聖廟という関係で、多久学校の聖廟の見学に行ったわけです。

以前、岡山の閑谷学校を見学したことがあります。閑谷学校は講堂が有名ですが、聖廟は小さく特筆されるようなものではありませんでした。

それに反して多久聖廟は国の重要文化財ですから、これは是非見ておかなければならないと前から思っていたのです。今回その思いがかなったわけです。

 現地に着きますと、山を背景としたなかなか壮大な雰囲気で、「多久聖廟」という大きな看板も建てられていました。

案内図があり聖廟の位置を確認して、そちらの方向に向かいますと、屋台の店がズラリと並び、多久市の観光名所になっているようでした。

写真は見て行きましたが、実際はどうだろうとワクワクしながら建物に近づきますと、思っていたより小ぶりの建物です。桁行三間、梁間三間の入母屋造りですから、萩の聖廟(桁行九間、梁間五間、入母屋造り)よりずっと小さいのです。

中は土間でした。しかし、色々と中国風の細工がしてあり、また、今でも年2回、釈菜の行事が行われていると聞きました。

萩藩の聖廟は現在、海潮寺の本堂になっていますし、場所も当初とは違いますから市の文化財に甘んじていますが、元々は大した聖廟だったのだなあと思い知りました。

萩藩には、明倫館以外に松下村塾をはじめ多くの教育施設があり、領民に対する教育が隅々まで徹底して普及していたことは他藩の追従を許さないものがあったといわれています。

聖廟を訪ねる旅をしてみて、藩政時代には各藩が競って教育に力を入れていた様子が偲ばれるのですが、昨今の世情を思うと現代の教育は何か違う気がしてなりません。(平成18年2月)

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