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なるほど法話 海 潮 音      


生活 第14話  「見守る」ということ    

 子育てについて、悩みを抱えたお母さん方が臨床心理士(カウンセラー)のところに相談に行かれると、「子どもを見守りましょう」という言葉が返ってくるようだと前回申し上げました。

今回は、その「見守る」とはどのようなことなのかを考えてみたいと思います。

 親は我が子の成長を常に考えると同時に、「怪我や過ちが無いように」と常に願っているものです。

親子で道を歩いているとき、子供がフラッと道の中央に行きかけたので、母親が危ないと思って子供をグッと抱きしめたために車にひかれずにすんだということも有り得るでしょう。こんな風に、親は無意識で子供を守るものなのです。

そこで次に、あまり活発でない子供が木登りを始めたとします。その子にとっては木登りという行為を始めるだけでも大変な勇気が必要だったかも知れません。

それを始めたのですから、その子にとっては大いなる成長といえましょう。

ところが、それを見ていた親はどのような行動に出るでしょうか。多くの親は「危ないからやめなさい!」と叫んでしまうのではないかと思います。

親の行動としては当然かもしれません。道路でのことでしたら、こうした親の行動が子供を事故から守るのですから、尊重すべきでしょう。

しかし、活発でない子供が、「木登り」という子供らしい行為を始めたとき、その子なりの成長が認められるのですから、その成長しようとしているその子の努力を助けることを優先すべきでしょう。

そこで、親としては「危ない!」という思いをグッと我慢して、その子に木登りをさせてやり、その代わ危険がギリギリにせまったとき、「やめなさい」と言えるように、近くに待機していなければなりません。

こんな風にすることが「見守る」ということの意味だと河合隼雄さんは『子どもと学校』(岩波新書)の中で述べています。

 このように「見守る」と言っても、ただ見ているだけではないわけで、見守っている親の心の中は複雑に動いています。

「見守る」という表現には、対象であるその子が生まれながらに持っている力とか、個性とか、独立性とかといったものに対する尊重の念が含まれています。そして逆に、見守る側の親の優越性が引っ込められています。

子の力を尊重し、親が一歩さがるところに、真の子の成長を願う親の姿があるように思います。

このような「見守る」を日常の子育てで実践するとき、親の過干渉ということもなくなり、自然なお子さんの成長がありうるのではないでしょうか。 (平成17年7月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。