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なるほど法話 海 潮 音
生活 第13話 子育てを考える
子育てを考える
以前と比べると子育てに悩んでおられるご家庭は増えてきているように思われます。理由はいろいろだと思いますが、子育てに関する情報が多すぎるのもその一つでしょうし、少子化現象も理由の一つだと思います。子どもへの親の干渉が増えることで親子関係がうまくいかなくなることは十分ありえましょう。
そこで、子育てを考える上で参考になりそうなものとして「ケアの定義」をとりあげてみたいと思います。その定義とは「ケアとは、相手が成長するのを助けること」(ミルトン・メイヤロフ著『ケアの本質』)というものです。子育てもケアの中に含まれるでしょうから、子育ての定義としても使えると思います。
前にも書きましたが、「育」という字は、「子どもを育てる」(他動詞)と「子どもが育つ」(自動詞)という二通りの使い方があります。
「子どもが育つ」という使い方が成り立つということは、子どもというものは本来自分の力で育つ能力を備えていることを教えてくれます。
植物の種が自然に成長するのと同じです。しかし、種はケースの中にしまったままだと成長しません。日光の当る畑に蒔いてやり、水をやったり肥料をやったり世話をしてやらないと十分な成長をしてくれません。
子育てもこれと同じで、世話をしてやらないとうまく成長しないのです。しかし、子どもも植物の種と同じで、自分で成長しようとする力を本来備えているからこそ、世話をしてやりさえすれば成長するのだと思います。
この「自分の力で成長しようとしているものを世話すること」というのが、ケアの定義の「助けること」の意味だと思います。
従って、子育てのコツは、「自分の力で育とうとしている子どもを助けてあげる」ということになろうかと思うのですが、多くの親御さんは、ついつい「助ける」ではなくて「私が育てる」になってしまうのではないかと思います。
子育てについて、悩みを抱えたお母さん方が臨床心理士(カウンセラー)のところに相談に行かれると、「子どもを見守りましょう」という言葉が返ってくるようです。
この「見守る」とは「子どもが自分の力でしようとしていることを見守る」という意味だと思います。親がいちいち手を出さないということでしょう。種で言えば、畑や水や肥料を用意し、種の成長を観察しながら適量を施し、やり過ぎないということかと思います。これが定義の「助ける」に当るでしょう。
ところが「私が育てる」と思っていると、肥料が多ければ多いほど立派に育つ、と勘違いする危険があるように思うのですが。(平成17年6月)
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