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なるほど法話 海 潮 音      


人生 第 5 話  癌告知    

昭和63年2月に癌の告知を受けた一人の母親・平野恵子さんは約2ヵ年の闘病生活の末、子どもたちを残したまま41歳の若さで亡くなられました。その平野さんは『子どもたちよ、ありがとう』と題する手記を遺され,同名の本が平成2年に法蔵館から出版されています。

今でもそうでしょうが、まして当時は癌告知の環境は整っていなかったと思われます。でも、平野さんは亡くなる直前に「病気にかかったというだけで、あらゆる優しさを一人占めしているのです。ありがたくて、どうしたらよいのか分からなくなります。でも、やっぱり今のお母さんに出来ることは、その優しさに目一杯甘えて喜ぶことだけなのです。」と書いておられます。

どうしてこんなに安らかに死を受け入れられるのでしょうか。平野さんには三人のお子さんがおられましたが、お子さんがまだ二人だったとき、「重度の心身障害児」の娘さんをかかえ、三人で死ぬ機会をうかがっておられたそうです。ある日、男の子が障害のある妹(由紀乃ちゃん)のことを「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」と言ったのだそうです。

我が子の言葉が電流のように身体に流れ込んだと平野さんは書いておられます。そして「幼いあなたの、この一言が、おかあさんの目を、心を覚ましてくれたのです」「気付いてみれば、由紀乃ちゃんの人生は、なんと満ち足りた安らぎに溢れていることでしょう。食べることも、歩くことも、何一つ自分ではできない身体をそのままに、絶対他力の掌中に抱き込まれ、一点の疑いもなくまかせきっている姿は、美しくまぶしいばかりでした。」とも述べておられます。

平野さんは真宗のお寺の奥さんですが、日ごろ仏教の教えのある環境におられたためでしょう。仏教を癌告知を受け入れ得る下地にされていたご様子です。(平成10年8月)


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