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なるほど法話 海 潮 音      


人生 第10話  「人間」という言葉    

和辻哲郎さんは、『人間の学としての倫理学』という本の中で「人間」という言葉について次のような興味深い考察をされています。

私たち日本人は、「人間」も「人」も共に人(man)の意味として使っています。すると「人間」の「間」は何を意味するのでしょうか。

おそらく次のような答えが返ってくることでしょう。人は人々の間でもまれて始めて人となるから「人間」というのだよ、と。でも和辻さんはもっと厳密に考察しておられます。

もともと漢字の「人間」は仏教用語で、輪廻転生する五つの世界(五道、阿修羅を加えると六道)である「地獄、餓鬼、畜生、人間、天上」の「人間」を意味するとされています。

ところが、この五つは正確な漢訳では「地獄中、餓鬼中、畜生中、人間、天上」であり、それぞれについている「中」、「間」、「上」がいずれもloka(世界)の訳語であると指摘されています。

したがって「人間」とは「人の世界」という意味で、「人間社会」を意味しても、個人としての「人」を意味することはないわけですが、通常の仏教用語としては「中」を省略して「地獄、餓鬼、…」のように二字に揃えるために、例えば「畜生」と「人間」とが並記されることとなり、「人間」という言葉が畜生(動物)に対する「人」を意味するようになったというわけです。

和辻さんの考察は更に続き、実は、純然たる日本語としての「ひと」という言葉の中に、そのような誤解を起こさせる要素があったことを指摘されています。

すなわち「ひと」という言葉は、「ひとの物を取る」(他人の所有物を盗む)、「ひと聞きが悪い」(世間への聞こえをはばかる)、「ひとをばかにするな」(私をばかにするな)などと使われて、「ひと」という一つの言葉が「自」、「他」、「世間」の三つの意味を同時に持っているというのです。

このような下地があったが故に、「人間」(人の世界)という全体性を表す言葉が、個々の「人」をも意味するようになったというのです。

このような全体と部分を同じ言葉で表す例は、「兵隊」や「友達」、「女中」や「連中」にも見ることができます。そして和辻さんは、日本人は日常的に、全体の名で部分を呼び、部分に全体を見ている、と指摘しておられます。

とすれば、全体性を表す「人間」という言葉で個の「人」を見ている日本人は、人は自分だけでは生きられず、他の人々に生かされ生かしつつ生きるのだという全体との関係を意識する智慧があったことになりますが、現代日本人もそうだと言えるかは問題でしょう。  (『海潮音』No.220 平成十四年三月)

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