このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)
なるほど法話 海 潮 音
文化第7話 儒教に学ぶ
中国の古い儒教では、死の恐怖を和らげる方法として、死後、この世に儀礼的に帰ってこれるという方法を説いています。
まず、彼らは人の死を、魂(精神)と魄(肉体)の分離と考えました。ですから、分離した魂と魄を一致させればもとの生の状態、即ち、この世に帰ってくることができることになるわけです。
天上に行った魂を匂いのよい香を焚いて引き寄せ、地下にもぐった魄を香り高い酒をまいて呼び戻しました。呼び戻すよりしろは本人の白骨化した頭蓋骨です。頭蓋骨は後に神主(木主)となり、仏教が取り入れて位牌となりました。
ところで、この魂を呼び戻す儀礼(招魂儀礼)は、死んだ本人は出来ませんので、その子孫が行います。死者が永遠にこの世に帰り続けるためには、子孫の存続と子孫による儀礼の実行が必要です。
そのための原理が「孝」です。孝には、@過去の先祖に対する孝(招魂儀礼の実行)、A現在の親に対する孝(親孝行)、B未来の子孫に対する孝(子を産み育てる)の三種があるとされています。
@の孝によって招魂儀礼が永遠に続けば魂は永遠にこの世に帰ることが出来ます。Bの孝による子孫の未来永劫の存続は、魄(肉体)の永遠を説いていることになりましょう。
儒教では、先祖から自分を通して子孫に続く命の連続を一つのものとして捉えます。この考えをよく表している言葉に「遺体」があります。現代日本語の「遺体」は敬意を込めた「死体」の意味ですが、儒教のいう本来の意味は「父母が遺してくれた体」(=自分の体)という意味です。
即ち自分の体は先祖から綿々と続いてきた体であり、これはまた子孫へ永遠に続く体であると考えているわけです。換言すれば、自分の体は先祖の体の複製であるという考えで、遺伝子の考えにも通じます(加地伸行『儒教とは何か』中公新書)。
ところで、先祖から子孫への命の流れを一つのものと見る考え方は重要だと思います。この考えは、自分の命は先祖から子孫へと流れる命の現在の部分を担当させてもらっているという考えになるからです。即ち全体から個を考えているからです。
人類が築き上げた文明は、人間が自然を征服するという人間中心の思考に基づきますが、こういう思考は結局のところ自己中心的思考にならざるを得ないでしょう。人類の危機は、このような人間中心・自己中心の考えによってもたらされています。
今、求められているのは、全体から個を考える思考法ではないかと思います。儒教の考えもその一つと言えるでしょう。 (平成13年8月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。