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なるほど法話 海 潮 音
文化 第20話 知の巨人 南方熊楠
二十年近くも前になりましょうか、所用で和歌山県田辺市に行ったことがあります。用を済ませた後、時間がありましたので、少し足をのばして南方熊楠記念館に行きました。 何となく名前に惹かれて行った程度だったのですが、館内に入って見ていくうちにどんどん引き込まれてしまい、危うく帰りの電車に乗り遅れるところでした。 そんな経験をした熊楠さんなんですが、先般、三月二十三日のNHKテレビ番組「英雄たちの選択」で放映された「”知の巨人”南方熊楠の闘い熊野の森を守れ!」を見ました。御覧になった方もあるかと思いますが、ただただ懐かしさの余り、駄文を書いてみることにしました。 熊楠さんは慶應三年(一八六七)に和歌山城下に生まれ、八歳から十二歳頃に『和漢三才図会』百五巻(図入りの漢文による百科事典)などを筆写したとのことです。 十七歳で東京大学予備門(現東大教養学部)に入学したものの、教室の中での学問には飽きたらず、世界中の学問をし、大自然を観察し、天地の命の不思議を知るというのが夢だった熊楠さんは、イギリスの植物学者バークレーらが六千種もの菌類を集め、世界最初の標本を刊行したという新聞記事を読み、「男と生まれたからには、バークレーたちを超える七千種の菌類を集め、日本国の名アを天下に上げてみせちゃる!」と言って、予備門を中退して渡米し、大学に通いつつ植物採集を本格的に始めたようです。 二十五歳のときロンドンに移り、世界的に有名な科学雑誌「ネイチャー」に次々に論考を発表するという天才ぶりを発揮しています。明治三十三年、三十三歳で帰国し、那智山周辺で生物調査と採集を行っています。 明治三十九年頃より明治政府は村の合併が進められるのに合わせて、神社合祀政策を進めました。 和歌山県と三重県では特に合祀が進み、二年後の明治四十一年には五八一九社あった神社が一九二二社に激減したとされています。 熊楠さんは神社の合併廃社により、伝承された民俗が絶え、神社林(鎮守の森)に保たれた自然の生態系が破壊されることを恐れ、果敢に反対運動を起こしました。 その過程で家宅侵入罪に問われ収監されるなど困難を窮めたようですが、高級官僚でもあった民俗学者の柳田国男さんから多大の支援を受けたようです。 熊楠さんが愛し、何度も通った田辺湾に浮かぶ生態学の宝庫神島は森林の伐採が中止され、昭和十年(一九三五)に国の史跡名勝天然記念物に指定されています。「自然を愛す自我」を貫き通した熊楠さんのお蔭でしょう。(平成二十九年五月) |
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