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なるほど法話 海 潮 音      


文化 第2話  おのずからの事    

現代日本語としての「自然」の意味は、自然界に存在する山川草木といった物や、雨・風といった現象をいうと国語辞典にあります。

しかし漢語としての本来の「自然」の意味は、「自ずから然る」ということで、より詳しくは「他者の力を借りないで、それ自身の内にある働きによって、そうなること」と説明されています。

ここでいう「他者の力」とは基本的には人間の力、すなわち「人為」をいうようです。ですから桜の花が咲いたり草が茂ったりするとき、人間が何もしなくてもそうなることを「自然」というわけです。

ところで、日本人の「自然」という言葉に対する捉え方には面白い捉え方があります。元和年間(1615-24)の『見聞愚案記』という書物に「世話に、自然(ジネン)と呉音に云へば自然天然の様に心得、自然(シゼン)と漢音に云へば若(モシ)の様に心得るなり」とあるそうです。

つまり、「自然」をジネンと読むときは「自ずから然る」の意味であり、シゼンと読むときは「異常の事態・万一」の意味となるというのです。

これは「自然ら」(オノズカラ)という表記があるように、「おのずから」についても同様であるとされます。そして、異常の事態・万一の最たるものが死でありますから、鴨長明の『発心集』に「おのずからの事」が死を意味している場合の用例があるそうです。

「おのずからの事」が「死」を意味するというのはどういうことでありましょうか。道元禅師の「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」という言葉を使って考えてみますと、花が散り草が茂るのは自然の事、おのずからの事であります。これを「ああ、惜しいことだ」と思い、「また生えやがった」と思うのは人間の心の勝手な思いであります。

花も咲けば散るように、人間も生まれてくれば死んでいきます。人間の死も花が散るのと何ら異なるものではありません。おのずからの事であり、自然の事であります。

ところが、一旦人間の心の側に立ちますと、「ああ惜しい」どころではすまされず、「異常の事態・万一」のことと大騒ぎとなりましょう。「死」というものは、人間の心の側から見る場合と、天地自然の側から見る場合とでは、まるで違った出来事のように映ります。

これを一つの言葉で、しかも天地自然の側からの言葉で表しているのが、死を意味する「おのずからの事」という言葉でありましょう。過去の日本人は、非常に醒めた、そして非常に深い哲学的ものの見方で生きていたように思えます。(平成13年2月)  

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