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なるほど法話 海 潮 音
文化 第15話 「諦める」ということ
「あきらめる」という言葉は元来「明らめる」(明るくさせる、事情などをはっきりさせる、の意)だったのですが、後になって「諦める」(仕方がないと断念する、の意)が加わったようです。 「諦」(タイ)という漢字を漢和辞典で引きますと「真相をはっきりさせる」の他に「仕方がないとして物事をやめる」という意味もあるとされます。 しかし後者の意味は日本語特有の意味とされますので、「諦」という漢字に「断念する」という意味を加えたのは日本人ということになりましょう。 何故、日本人は「真相」を意味する「諦」の字にわざわざ「断念」という意味を付け加えるようなことをしたのでしょうか。そこには日本の風土が深く関わっているよう思われます。 人が砂漠に放り出されたとしたら、たちまち死がおとずれましょう。しかし温帯の日本の山に置き去りにされたとしても、その人にたちまち死がおとずれることはないでしょう。 また日本の高温多湿は現代人にとっては不快かも知れませんが、稲の生育には絶好の条件ですから、昔の日本人には自然の恵み以外の何物でもなかったでしょう。 温和な気候、美しい季節の変化、台風や豪雪ですら、水不足を解消したり、田んぼの害虫を駆除してくれたりします。総じて日本の気候風土は地上で最も恵まれた状態と言えそうです。 だがしかし、この恵み深い日本の風土は時として洪水や干ばつという荒々しさで襲ってきます。 でもそれは死と直結した砂漠の脅威ではなく、恵み深い自然が時たま見せる恐ろしい顔に過ぎません。何とかしのげば元の恵み深い顔に戻ります。 そんな日本の風土を和辻哲郎さんは「受容的忍従的」と表現されました。この「忍従的」態度を日本人がとるとき、自然への対抗を「断念」したときと言えましょうか。 しかしこのことが「諦」という漢字と結びつくのは何故でしょうか。仏教では世の真相を諦めれば(=明らめれば)「諸行無常」(すべては変化する)ということがわかると説きます。 しかし日本人はそんな教理とは関係なく、地震や台風のもたらす災害を恵みの中の一時的荒々しさに過ぎず、何とかしのげば元の恵み深い顔に戻ることを肌で感じ取っていたようです。和辻さんが「受容的忍従的」と表現された日本の風土を寺田寅彦さんは「天然の無常」と表現されました。 この日本人的「無常」は、仏教の説く「変化としての無常」から「一時的ではあるが恐ろしい無常」へとずれたようです。 ここに「諦」の字が「断念する」意味を持つに至った理由があるように思われます。(平成二十五年八月) |
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