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なるほど法話 海 潮 音      
文化 第14話  玄侑宗久さんの講演会    
     
 昨年十一月二十一日、福島県三春町にあるお寺の御住職で芥川賞作家でもある玄侑宗久さんをお招きし、東日本大震災を僧侶の立場から考え直そうという講演会(主催は山口県曹洞宗布教研究会)が山口市で開催されました。演題は「無常とあはれ」です。

 「無常」というのは仏教が出発する前提条件のようなものですが、その言葉がここに出てくるのは、寺田寅彦が地震について「天然の無常」という言葉を使ったのと同じかと思います。

 もう一つの「あはれ」という言葉ですが、玄侑さんはこの言葉の説明に「懐かしむ」という言葉を引き合いに出されました。

 「懐」という漢字には「抱く」「思う」の意味はあっても「なつかしむ」という意味はなく、日本人が付け加えた意味で、その分、日本人が大いに懐かしむ人々だということが分かるというのです。

 何を懐かしむのかといえば「面影」(この言葉も漢語にはない)です。亡くなった人やなくした物を懐かしむ訳で、このことも日本が昔から天災の多かった国であることを物語っているようです。

 面影を懐かしんで忘れようにも忘れられないもの、これを日本人は「あはれ」と呼んで、一つの美学にしていったというのです。

 つまり、変化してやまない無常の世にあって失われてしまった人や物を忘れず懐かしむ、別な言葉を使えば「執着する」と言えましょうか。そんな矛盾的状況をエネルギーとして「あはれ」という美学を日本人は創り出したんだといわれるのです。
 
 原発と放射能の話もされました。原発は問答無用で反対だとされた上で、放射能とは切り離して考えるべきとの立場から、過敏になりすぎる弊害を指摘されました。

 あるジャーナリストとの間で「玄侑さん、安全は売れないんですよ。危険じゃないと人は買ってくれないのです。危険の話を書いてくれませんか?」「いやだ!」というやりとりのあったことを紹介されていましたが、玄侑さんの立場を明確に表明した話ではないかと思います。

 また人体の持つ放射線に対する修復力にはすごいものがあり、累積線量という考え方はほとんど無意味だという話もされました。

 五〇〇ベクレルの牛肉を毎日三〇〇グラム一年間食べても胃のレントゲン一回分ちょっとぐらいのレベルということです。

 更には、低線量放射線を浴びると人体細胞内のミトコンドリアが活性化してエネルギーを作っているという話までされました。

 玄侑さんがここまで話されるのは、福島県民の一人としてよほど放射線の過剰反応に対する弊害に心を痛めておられるからではないかと想像しています。 (平成二十五年五月)

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