このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)


なるほど法話 海 潮 音      
文化 第13話  守破離    
当山では元旦の行事とは別に、二日に家族がお茶席に集まり、抹茶を静かにいただきながら新年を迎えます。迎春に当たり茶道のことにも目を向けてみたいと思います。

表千家中興如心斎宗左(じょしんさいそうさ)(1705〜1751)の時代になると世の太平とともに茶の湯は庶民にまで広まり、利休時代が「茶事」(茶会)中心であったのとは対照的に、茶の湯といえば「稽古」を意味するようになったようです。

そんな時代に如心斎は兵法用語「守破離」(しゅはり)を使って茶の湯の修行段階を表現しました。

わび茶そのものが禅の精神に基づいているのですが、守破離はもっと具体的に禅的精神を反映したものといえましょう。

『茶話抄』(ちゃわしょう)には「守」「破」「離」の三段階が、それぞれ「守株待兎」「見風遣帆」「応無所住而生其心」というように極めて簡潔な言葉で説明されています。

まず「守」の「守株待兎」(株を守って兎を待つ)とは、観応の『華厳五教章冠註』にでくる言葉で、兎が木の株に当たって死んだのを農夫が見て、また兎を手に入れようと株の番をしたという中国の故事に基づくようです(中村元『佛教語大辞典』)。これは入門者が教えられた事を闇雲に守ろうとしている段階をいうでしょう。

「破」の「見風遣帆」(風を見て帆を遣る)は出典が明らかではありませんが、風の具合を見て帆を調節するという意味でしょうから、師匠に言われたからといって闇雲にするのではなく、実際のあり方をよく見て、自分で考えながらするというのが「破」の意味だということになりましょう。

「離」の「応無所住而生其心」(まさに住する所なくしてその心を生ずべし)は『金剛経』に出てくる言葉で、これを沢庵禅師(1573〜1645)は『不動智神妙録』(ふどうちしんみょうろく)の中で「万の業をするに、せようと思ふ心が生ずれば、其する事に心が止まるなり。然る間、止る所なくして心を生ずべしとなり」と説明しています。

最後の「止る所なくして心を生ずべし」の意味ですが、何かをするとき、うまくやってやろうと思う心を忘れて事をするということです。

そのためにはどうしたらよいかと言えば、「心を一所に定めて、余所へ心をやらず。・・・此稽古、年月つもりぬれば、心を何方へ追放しやりても、自由なる位に行く事にて候。右の応無所住の位は、向上至極の位にて候。」と説いています。

「心を一所に定めて、余所へ心をやらず」とは坐禅のことでしょう。これを長年行じていると、日常生活の中でも「思いのままにしたいという心」が薄まり、うまくやってやろうという邪念が薄まるために、名人といわれるような所作ができるということです。これが「離」であります。

沢庵禅師にならい、本年も坐禅に励みたく思っています。(平成24年1月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。