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なるほど法話 海 潮 音      
文化 第11話  旃檀林の額について    

 筆者も学生時代を過ごした駒澤大学は文禄元年(1592)水道橋のたもとにあった吉祥寺の境内に、曹洞宗が禅の実践と仏教の研究、そして漢学の振興を目的として「学林」を設立したことに始まるとされています。設立当初の学林の名称は「吉祥寺会下学寮」と呼ばれていました。

その後、明暦三年(1657)の大火で現在の文京区本駒込に移転しましたが、その折に、わが国を訪れていた中国僧・陳道栄が禅宗の『証道歌』に「旃檀林に雑樹なし、鬱密深沈として獅子のみ住す」とあるのにちなんで「旃檀林」と命名し墨書したと伝えられています(陳道栄の命名と墨書については『駒澤大学百二十年』駒澤大学、『禅学大辞典』大修館書店など参照、原資料は不詳)。現在の吉祥寺の山門に「旃檀林」の扁額(写真@下段)が掲げられています。

ところで、当山(山口県萩市・海潮寺)にも山門に同じ「旃檀林」の扁額があるのです。写真A(下段)をご覧下さい。当山の山門に掲げられている扁額には「張即之書」とありますので、当山のものは張即之の墨蹟であることが明らかです。

そうすると写真@は陳道栄の墨蹟であり、写真Aは張即之の墨蹟であるということになりますが、写真をご覧頂いてお判りのように、この二つの墨蹟は明らかに同一の墨蹟です。

では、これを書いた人物は陳道栄とするのが正しいのでしょうか、それとも、張即之なのでしょうか。この謎を解く鍵が京都にある臨済宗東福寺にありました。

東福寺には、張即之(1186〜1263、南宋末期の著名な書家)の筆になる額字がいくつか伝わっており、その中に「旃檀林」の額字(現在は東京国立博物館寄託、国宝、写真B下段)があります。

三者は全く同一の墨蹟であることは一目瞭然でしょう。したがって、この墨蹟は張即之のものであるとするのが正しいことになります。

それでは吉祥寺の陳道栄が墨書したとする伝承はどうなるのでしょうか。これについては、「(吉祥寺の)「旃檀林」は中国僧・陳道栄が命名し、墨書した。安永七年(1778)の火災で焼失したが、享和二年(1802)の山門再建時に拓本から復元された。現在、山門に掲げられている。」(『駒澤大学百二十年』)という記述に注目すべきでしょう。

享和二年、扁額復元に使われた拓本とは陳道栄のものではなく、張即之のものだったと考えられます。

現在、駒澤大学においても、この吉祥寺山門の扁額に見る墨蹟を、大学の淵源をなす「旃檀林」の命名者陳道栄その人の墨蹟であるかの如く考えられているようですが、この点は改められるべきかと思います。 (平成18年11月)

「旃檀林」の墨蹟


写真@ 吉祥寺の扁額




写真A 海潮寺の扁額




写真B 東福寺の額字




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