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なるほど法話 海 潮 音      
文化 第12話  被災者に見る日本人の叡智    

 3・11巨大震災の爪痕はもういやというほど目にしました。言いようのない気持がわき起こります。

ところが震災のまっただ中におられる被災者の方々の秩序だった行動に対し、海外から驚きと賞讃の声が起こっています。行動だけでなくその表情もとても穏やかです。

今回だけでなく阪神大震災、新潟県中越地震の時も同じだったようです。

宗教学者の山折哲雄氏は、地震学者の寺田寅彦が昭和十年に書いた「日本人の自然観」の中に出てくる「天然の無常」という言葉を引き合いに、「自然が荒れ狂うときには抗うことを諦め、頭を垂れ、膝を屈して、そしてそこから自分たちの生活をどう築いていくか、今日の言葉を使えば、危機管理の思想や感覚を育んできた。何千年もの間、作り上げられてきた表情があの穏やかさなのだと思う」(アエラ臨時増刊号15)と述べておられます。

私はこの被災者の方々の穏やかな表情の秘密は「諦める」という言葉の中にも隠されているように思います。

日本語の「あきらめる」には、「明める」(他動詞、明らかにする)と「諦める」(自動詞、断念する)の二つの言葉があります。

小学館の『国語大辞典』によると後者の「諦める」の意味には括弧して「道理を明らめて断念する意という」と説明文が付加されています。

この説明文は実に適切で「道理」とは仏教で説く「諸行無常」の道理でしょう。

もともと「諦」(つまびらかにする)という漢語には「断念する」という意味はなく、恐らく日本の自然の無常極まりない姿に、抗えないことを明らめ尽くした経験が「諦」の字に新たな「断念する」意味を付け加えたものと思われます。

この「断念」を意味する「諦める」には、このような日本人の自然に対する長い経験の蓄積が込められており、そのことのが被災者の方々の穏やかな表情となって顕れているのではないでしょうか。

被災者の方の中には家族を全員失い、これからたった一人で生きていかなければならないという方もおられるでしょう。

そのような方に会われたという精神科医の香山リカ氏は、「絶望の中で、彼を生かしているものは何か。ご飯を食べる、住む場所を片づける、洗濯をする、そういう「すること」が目の前にあることなんじゃないでしょうか」(同アエラ)と述べておられますが、恐らくその通りでしょう。

あれこれ考えず、目の前にある今すべき事に黙々と向かう生き方、これは窮地に陥ったときに平常心を保つ叡智なのではないでしょうか。

大震災を通して日本人はそんな叡智を誰もが共有しているように見えてきます。 (平成二十三年五月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。