このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)
なるほど法話 海 潮 音
文化 第10話 循環の思想(2)
前回、狩猟採集文化である縄文文化の循環の思想を梅原猛さんの仮説に基づいてお話ししましたが、稲作農耕文化である弥生文化にも循環の思想が見られます。
稲は一年草の植物ですから春に発芽して秋には籾を残して穂は枯死します。しかし翌年の春に籾から再び発芽して生長し、という調子で「発芽(春)→生長(夏)→枯死(秋)→籾(冬)」というサイクルを一年かけて一巡し、それを無限に繰り返し、稲という種として永続します。
人間についても稲と同じように考えたとしますと、人間は個としては誕生からやがて死んでそれで終わりのように見えますが、実は人類は太古の昔から続いているのですから、稲の籾に相当するものを霊魂だと考えれば「誕生→成人→死亡→霊魂」というサイクル(稲では発芽から枯死が半年、籾の期間が半年で一年ですから、人間では六十歳で死んだとすると霊魂の期間も六十年で百二十年で一巡する計算です)が考えられ、子供の誕生は先祖の霊の生まれ替わりと考えた人々は、稲と同じように、個々の人間の死を超えて、人間としての永続を考えていたのではないでしょうか。
それが弥生人、或いはその後の古代日本人の考え方であったのではないでしょうか。
何も霊魂というわけの分からないものを持ち出して理屈をこねなくても、親から子へと素直に考えればよいではないかと言われる向きもあるかと思いますが、例えば、受胎のことを「タネを宿す」とか、妊娠のことを「ミ籠もる」とか言いますし、人間の「目・鼻・歯・頬」が植物(稲)の「芽・花・葉・穂」に対応しています。
更に申し上げると、稲を刈り取って乾燥させ、円錐状に積み上げたものを「稲積み」と言いますが、昔はこの稲積みから少しずつ運んで脱穀したと言われますから、貯蔵施設でしょう。
これを沖縄の八重山地方では「シラ」というのだそうですが、「シラ」は稲積みの意味だけでなく「産屋」の意味もあるため、民俗学者の柳田国男は稲積みの「シラ」は稲魂(いなだま)が籠もり、再生する場であるという理解を示したといわれます。
「産屋」とは人間の子供が生まれる場所ですから、これは正に、人間の誕生も、稲の再生と同じように、ご先祖さまの再生と考えていた証拠だと思います。
とするとやはり「霊魂」を持ち出さないと話が合わないことになりましょう。古代日本人は人間を植物的に考えていたと思われますので、日本人の考える「霊魂」とは稲の籾に相当する植物的霊魂と言えるのではないでしょうか。 (平成14年2月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。