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なるほど法話 海 潮 音
文化 第9話 循環の思想(1)
かって日本列島は縄文文化一色でした。そこへ大陸から弥生文化がやってきて、縄文文化を南北に分断しました。この仮説は、アイヌ文化と沖縄文化を比較してみると、その「あの世観」があまりにも似ているのに驚いて、梅原猛さんがたてた仮説です。
そのあの世観とは、魂がこの世とあの世を永遠に循環するという思想です。この世とあの世とでは、空間的にも時間的にもすべてがアベコベだと言われます。空間的には上下左右が逆なのです。
すなわち、この世とあの世とは違うけれども、どちらからも逆ではあるが全く同じに見えるということです。だから循環しうるわけです。
死とは肉体と魂が分離して魂があの世に行くことだとされますから、この世で死ぬと魂はあの世に移動し、あの世で肉体を持って生まれます。あの世で死ぬと魂はこの世に移ってまた誕生するというわけです。
アイヌでは熊の肉が最上の肉とされています。熊はあの世からミアンゲ(土産)を持ってくる客人だと考えられています。人間はその肉をいただいたら熊の魂に沢山のミアンゲを持たし丁重にあの世に送ります。これが熊の葬式(イオマンテ)です。
あの世に着いた熊は人間からのミアンゲで宴会をします。熊の仲間たちは人間の世界(この世)はなかなか良さそうなところだなと思い、この世で熊が沢山生まれて、どっさり熊が捕れるというわけです。
葬式は豊猟祈願祭でもあるわけです。人間の魂もこの世とあの世を循環し、熊と同様の葬式がなされると言われます。
人間は動植物を食べることによって生きて行かねばなりませんが、アイヌの人々は熊を殺して肉を食べても魂は殺していません。丁重にあの世に送り返します。肉をいただいたという感謝の気持ちの表れでしょう。大自然に生かされているという気持ちの表れだと思います。
すべての動物は他の動物や植物を食べ、植物は太陽のエンルギーと養分を吸収して生きています。そのような循環の中ですべての生き物は生きています。人間も例外ではないはずです。
生き物の循環と同時に魂の循環も考えられましょう。どんな生き物も個としての命は限界がありますが、新たな命の誕生という現象もあります。アイヌの人々はそれをあの世の魂の生まれ替わりと見たようです。
魂すなわち命はあの世とこの世を循環するのであれば、それは永遠です。人間もそんな永遠の命の流れの中にあるわけで、今生きている人間が中心であろうはずがありません。自己中心的に考えがちな我々現代人には意味のある考え方かと思います。 (平成14年1月)
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