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なるほど法話 海 潮 音
仏教 第9話 悩み解決法
悩みを抱えておられる方は多いことでしょう。これを解決する方法があればすばらしいですね。それを今回はご紹介いたしましょう。
ただし、ご紹介できるのは理屈のみです。実際の解決には、それなりの努力(坐禅)が必要かと思います。その点はご了承下さい。
さて、その方法とは、「心を空っぽにする」という方法です。そのためには坐禅の実践(禅 第7話 「身心脱落とは」など参照)が必要と思いますが、今回はその理屈のみ申し上げます。
「悩み」とは「あることが自分の思うままにならない」ということで、これは更に分析的に言えば、「あること」と「思うままにしたい心」とが一致していない状態と言えましょう。
これを解決するためには両者を一致させればよいわけで、その方法に二つあります。第一は「あること」の方を「思うままにしたい心」にかなうように変えるという方法、第二は「思うままにしたい心」の方を「あるもの」に合わせるという方法の二つです。
前者はよく見かける方法ですが、「思うままにしたい心」の方が簡単に膨らんでしまうものですから、いつまでたっても解決はあり得ないことになります。
後者は、「思うままにしたい心」の方を「あるもの」に合わせるというのですから、解決にはならないように思われます。しかし、一致が解決であれば、立派な解決なのです。そして、実は、これが仏教のやり方なのです。
それでは、「思うままにしたい心」を「あるもの」に合わせるとはどういうことなのでしょう。それは「あるもの」をそのまま受け入れるということです。
しかし、受け入れようと思っても、心の中に「ああしたい、こうしたい」が一杯つまっていますと、入りません。そこで心を空っぽにする必要があるわけです。
心とは、中身が詰まっているべきではなくて、外側の「あるもの」を受け入れる「器」であるべきなのですね。例えば「あるもの」が「年をとること」であるとき、「若くありたい」なんていう心の中身を捨ててしまって、お年寄りがしわくちゃの顔で化粧もせずニコニコされておられるように、「年をとること」をそのまま受け入れればいいのだと思うのです。如何でしょうか。(平成12年7月)
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