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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第 7 話  断食    

インドには古代より修行形態として苦行と瞑想(ヨ−ガ)の二種類がありました。その内、瞑想の流れをくむものが坐禅ですが、仏教の坐禅は、単なる精神統一ではなくて、外界をありのままに見る智慧が働いている点が重要です。

もう一つの苦行ですが、この代表的なものが断食です。釈尊もこの断食を大変熱心にされました。皆様方も有名な「釈迦苦行像」(ラホ−ル博物館蔵)(写真)の実物や写真をご覧になったことがあると思います。しかし、釈尊は結局、断食などの苦行を捨てられ、静かな坐禅の中で悟りを開かれました。

紀元前1500年頃、中央アジアに居たア−リヤ人たちがインドに入ってきました。彼らは寒冷地である中央アジアに居る頃、ソ−マと言う幻覚剤を服用し高揚した状態で神秘世界との交流感を得ていましたが、暑いインドにやってくると幻覚剤ソ−マを造る材料となるベニテングダケ(北半球の寒冷地帯に広く分布)がありません。ところが、彼らは断食によって同じ効果が得られることを発見し、断食を神秘世界の感得に大いに利用したのです。

断食を体験された國學院大学教授・宮元啓一氏は「身心の清澄なること、余人の想像を絶するものがある」(『仏教誕生』ちくま新書)と述べておられますが、山口県立美術館でお会いした真言宗のあるご住職によると、断食をして二日目、三日目は猛烈に腹部が痛むが、四日目になると頭の中がパ−ッと明るくなり、すべての苦痛を感じなくなってしまうということでした。

しかし、宮元教授によれば、断食も、それを止めて食を始めてしまえば元の黙阿弥、心も元の汚れた心になってしまうということです。釈尊が苦行を捨てられた理由もこの辺にあったように思います。

つまり、仏教の核心は、瞑想による精神統一や、苦行という肉体いじめで得られる一時的精神状態ではなく、智慧を働かせて恒久的安らぎを得ようとする処にあると言うことです。(平成9年10月)


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