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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第 6 話  現代生活での中道    

宗教学者の故岸本英夫氏は宗教を定義して「宗教とは、人間生活の究極的な意味をあきらかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられているいとなみを中心とした文化現象である。」と述べておられます。

そして、文中の「人間の問題」について、欲求(生活活動の原動力)の生起、充足、解消という流れが、なめらかに流れていれば人間の問題は生じることはなく、心は安定した状態にあるが、その流れがなめらかに流れなくなると人間の問題が生じて、心は緊張状態になる、と解説されています。

ところで、世界の主な宗教は、欲求が解消し、心の安定した状態を求めるのに、欲求を充足するという方向ではなく、むしろ欲求を抑制するという方向で欲求・充足・解消の流れを流れや易くしているように思われます。

即ち、キリスト教でもイスラム教でも「最後の審判」というものが説かれ、いつ起こるか判らない裁きとして、人間の現世的な生活を強く規制していますし、仏教においても、輪廻転生が説かれて、現世に悪をなせば来世に地獄に堕ちると説かれて、いずれも、来世というものによって現世の倫理の道の支えとし、心の安定をもたらそうとしています。

ただ、仏教の輪廻転生説はヒンドゥ−教の影響ですから、本来の教えではないでしょう。釈尊ご自身の教えは「中道」、即ち、欲求を野放しに充足し続けるのでもなく、かと言って抑圧してしまうのでもなく、丁度よい状態にコントロ−ルすることかと思います。

しかし、その丁度よい状態というのが問題ですし、しかも現代人にとっての「丁度よさ」が問題です。それは、例えば、物をむやみに欲しがらず、かと言って何でも我慢してしまうのでもなく、求める時は気に入った物を求め、今度はそれを大切に愛着をもって長く使っていく、これが現代生活での「中道」になるのではないかと思っていますが、いかがでしょうか。(平成10年5月)


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