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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第26話  ブッダという人   


 今年四月十六日、珍島沖で韓国の客船セウォル号沈没事故が起こり、修学旅行の高校生ら295人が死亡し、9人が未だに行方不明のままです。

この事故について光州地裁は約七ヶ月経った十一月十一日、乗組員15人全員に実刑判決を言い渡しました。

死刑が求刑されていた船長イ・ジュンソク被告には、殺人罪ではなく遺棄致死罪などが適用され法廷最高刑の懲役36年の判決でした。

検察は判決を不服として控訴する方針だそうですが、修学旅行中に犠牲となった高校生の親たち事故の遺族らは判決後、光州地裁前で記者会見し、「殺人なのは明らかだ」「(船長らは)私たちの子どもを海に残して逃げた。脱力感しかない」と怒りをあらわにしたとのことです(『朝日新聞』11月12日、朝刊)。

私もほぼ真横に傾いたセウォル号から私服姿で救助される船長の映像を何回となく見ましたが、なぜ船長としての制服を着ていなかったのか、不思議でたまりません。もし船長の制服を着ていたならば、救助する人でありえても、救助される人ではありえなかったのではないでしょうか。

もし船長が乗客になりすましたとしたら、当然、殺人罪を問うべきかと思います。この点について、私の知る限り、報道されていないような気がします。そして、私も遺族の方々のやりきれない思いに十分共感できるように思うのです。

 そんな折、たまたま、五木寛之さんの『孤独の力』(東京書籍)を読んでいましたら、中村元先生が『大パリニッバーナ経』を和訳された『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)のある一節が次のように要約されて引用されていました。

 「ブッダは鍛冶工(の子)チュンダの供養したきのこ料理を食べ、激しい下痢をし、その何日か後に死ぬ。おそらく熱暑のために料理が傷んでいたのだろう。ブッダは料理を食べている途中で、料理に問題があることに気づき、残ったものをだれも食べないように土に埋めるようさりげなく指示している。しかし、これはよく語られることだが、ブッダはチュンダを赦し、自分が死んでもその行為を非難しないよう弟子に厳命し、それどころかチュンダをブッダに最後に供養した者として貴べとまで言っている。」という引用です。

これを引き合いにセウォル号の船長を赦せといっているのではありません。

ブッダは悪意のないチュンダが弟子達にひどい仕打ちをされないよう配慮はしても、自分の事はかけらも念頭にない様子です。

一方の船長は自らの職務を放棄してまで自分の事しか考えていない様子ですから、犠牲者の親たちは極刑を以てしても心がおさまらないことでしょう。

一体全体、自らの死をもたらすような行為にも一切自分を持ち出さないというブッダの態度はどこから出てくるのでしょうか。(平成二十六年十二月)
 

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