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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第 2 話  救われるということ    

釈尊は非常に巧みな説法によって多くの人々を救われたと伝えられていますが、そんな説法の一つに次のようなものがあります。

ある若い母親は、自分の赤ん坊が死んで、悲しみのあまり半狂乱になっていましたが、評判の高い釈尊の噂を聞いて、赤ん坊を生き返らせてくれるかもしれないと思い相談に行きました。

釈尊の返事は「それはお気の毒だから、わたくしが赤ん坊を生き返らせてあげよう。村へ帰って、芥子の実を二、三粒もらってきなさい。」というものでした。

芥子の実ならインドの農家にはいくらでもありましたから、その実で何かお呪いでもするのかと思い、その若い母親は急いで村に帰ろうとしました。そのとき、その背後から釈尊は声をかけました。「ただし、その芥子の実は、いままで死者を出したことのない家からもらってこなければならない。」

半狂乱の若い母親は釈尊の言葉の意味がよくわかりませんでした。こおどりして村にとって返した彼女に、村人たちは喜んで芥子の実を提供しようとするのですが、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちでは両親の葬式も出したし、子供の葬式も出した。」という返事しか返ってきませんでした。

家から家へかけめぐるうちに、その若い母親にも少しずつわかってきました。そして、ほとんど村中をまわり、釈尊のおられる森に帰ってくるころには、半狂乱もすっかり消え去り、すがすがしい気持ちになっていました。

この話で、釈尊は救う人であり、若い母親は救われた人であります。しかし、よく考えてみますと、この母親は釈尊に導かれながらも、自ら悟ることによって、半狂乱に陥った自分自身を救うことができたように思われます。救われ方には色々あるでしょう。しかし、最後のぎりぎりのところでは、この話のように、自分で自分を救うしかないように思われるのですが。   (平成6年4月)


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