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なるほど法話 海 潮 音
仏教 第19話 智 慧
迷いを脱するためには、迷いの原因である煩悩を克服する必要があります。
煩悩は大別すると貪・瞋・癡の三つ(三毒)となります。
貪(むさぼり)は好ましいと思ったものを引き寄せようとこだわる煩悩です。
瞋(いかり)は好ましくないと思ったものを払いのけようとこだわる煩悩です。
これら両煩悩は方向は異なるものの共にものにこだわる煩悩です。
なぜこだわるのかといいますと、物事は常に変化している(無常である)にもかかわらず、そのように理解しようとしない癡(おろかさ)という煩悩があるからです。
この癡という煩悩を克服して、「すべてのものは変化する(無常である)」と心のそこから分かれば、いかなる対象に対しても、それを好ましいとか好ましくないとか言ってこだわっている暇はないと理解するわけで、自ずから貪と瞋の両煩悩も克服されることになりましょう。
この「すべてのものは変化する(無常である)」と心のそこから分からせるのが「智慧」であります。
ですからこの智慧を獲得すれば、煩悩は克服され迷いから脱することになるわけですが、実は、この智慧の獲得は意外と困難であるようです。
人が生まれて段々と大きくなり、次第に老化してやがては死んでいくという変化を理解するぐらいそんなに困難なことではないではないかと思われることでしょう。
確かに自分以外のことについては、その通りだと思いますが、自分自身のことについては、そう簡単にはいきません。
なぜなら、ものの変化を認識する認識主体そのものは変化せずにじっとしているというのが私たちの普通の考え方だからです。
その認識主体たる自分自身が変化する(常住でなく無常である)と理解するのは甚だ困難であるといえましょう。
ですから道元禅師も「人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、舟のすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を辧肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。」(『正法眼蔵』現成公案)と注意しておられます。
この岸(万法)と舟(自心)のたとえは、岸は不動(万法は常住)で舟は動く(自心は無常)と言いたいのではなく、万法の無常なることは当然とした上で、自心の無常なることを理解するのは容易でないということを言おうとした喩えと理解すべきでしょう。
いずれにせよ、無常なるものを無常なりと理解するのが智慧ですが、その無常なるものの中に自分自身が含まれているために、智慧の獲得は意外と困難なものとなっているのです。(つづく)(平成17年12月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。