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なるほど法話 海 潮 音
仏教 第15話 中 道
今から約2500年前、仏陀は菩提樹の下で悟りを開き、その後、修行を共にした五比丘に最初の説法をされました。その内容は「四諦八正道」の教えだったといわれています。
その教えとは、人生は苦であり、苦には原因(煩悩)がある。原因を滅するならば悟りが開け、原因を滅する方法は八正道である、というものです。
そして、その悟りを開く方法たる八正道は、苦行主義にも快楽主義にも片寄らない「不苦不楽の中道」だといわれます。
この中道について仏典(『雑阿含経』九、他)は、仏陀とソーナ比丘との次のような話を伝えています。
「ソーナよ、琴をひくには、あんまり絃をつよく張っては、よい音がでぬのではないか。」
「さようでございます。」
「といって、絃の張り方が弱すぎたら、やはり、よい音はでないだろう。」
「そのとおりでございます。」
「では、どうすれば、よい音を出すことができるか。」
「それは、あまりに強からず、あまりに弱からず、調子にかなうように整えることが大事でありまして、そうでなくては、よい音をだ すことはできません。」
「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それと同じであると承知するがよい。」(増谷文雄訳)
というものです。右の経典の「あまりに強からず、あまりに弱からず」が苦行主義と快楽主義の両極端のどちらにも片寄らないことをいうでしょう。
しかし経典では「調子にかなうように整えることが大事であ」るとも言っています。これは両極端に片寄らないだけでなく、あるバランスのとれた一点に調律することを言っているようです。
この一点とは苦行と快楽の間を揺れる心の一点をいいますが、その一点を決めるのは、心とその対象とのバランスが決めることになるでしょう。
例えば、「若くありたい」心に対して「しわくちゃの顔」という対象のとき、心と対象とは一致していませから苦が生じます。
ところが、心が「しわくちゃの顔でいい」という心に変わったとき、即ち心がしわくちゃの顔をそのまま受け入れたとき、両者は一致して苦が生じません。
この心と対象とが一致した点、従って苦が生じない点を強からず弱からずの線上に設定したとき、その点が「調子にかなうように整え」られた中道の点と言えましょう。
このような「与えられた対象をニコニコ顔の心で受け入れること」が中道であるならば、中道とは日常生活レベルの話と言えましょう。(平成17年2月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。