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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第14話  曹洞宗婦人会「会員の誓い」    

曹洞宗婦人会は昭和五十一年に結成され、その十年後の昭和六十一年に「会員の誓い」が作られました。
 
 おしみない心で どうぞさしあげます (布施)
 やさしい笑顔で どうぞしっかり (愛語)
 幸せを祈って どうぞおさきに (利行)
 手をとりあって どうぞごいっしょに (同事)
 私は、今日も菩薩さまの願いに生きます

というものです。例の「四摂法」の教えに基づく誓いの言葉となっています。

「四摂法」という教えは原始仏教以来説かれている教えですが、道元禅師はこの教えをとても大切にされ、『正法眼蔵』に「菩提薩T四摂法」(ぼだいさったししょうぼう)という巻を設けられて、詳しく説明されています。

また、その『正法眼蔵』の中からなじみやすいお言葉を集めて明治二十三年に編纂された『修証義』では、第四章「発願利生」の中でこの「四摂法」が日常生活の中での実践項目として説かれています。ですから、婦人会の誓いの言葉としては大変ふさわしいものと言えましょう。

勿論、道元禅師も「行願」という言葉を使っておられるように、誓い(誓願)だけではだめなのでして、実践(行)がなければ何もなりません。そこでどう実践するかが問題ですが、要は「同事」という言葉にありましょう。

意味するところは、自と他が平等であり一如であるということかと思います。この同事の立場にたって布施・愛語・利行を実践することになる訳です。

布施とは人に「物をあげること」、愛語とは人に「やさしい言葉をあげること」、利行とは人に「助けとなる行為をあげること」、と解釈できましょう。そしてその根底に「やさしい心をあげること」があると理解できるように思います。

道元禅師は「愛語」の説明の中で、「慈念衆生猶如赤子(じねんしゅじょうゆうにょしゃくし)の懐(おも)ひを貯へて言語するは愛語なり」と述べておられますから、「やさしい心」とは「わが子に向けるような心」と言えましょう。

わが子とは自分の分身ですから自分と平等一如です。自分と平等一如であるものに対し人間は「やさしい心」を向けることができるようです。

そこで他人に対して「やさしい心」を向けるためには、他人を自分と平等一如に感ずることが出来なければならない理屈です。どうしたらそれが出来るのでしょうか。そのためには「坐禅」という別の実践が必要でしょう。

坐禅は自己と宇宙自然との一体感をもたらします。宇宙自然は他人をも含みますから、自他一如を意味する「同事」という基盤ができることとなり、他人に対しても「やさしい心」を向けることが出来るようになるのだと考えます。(平成15年6月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。