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なるほど法話 海 潮 音      


仏教  第12話  利 行    

「情けは人の為ならず」という諺があります。ある大学の先生が学生たちにその意味を、@「へたに情けをかけるとその人のためにならない」、A「人に情けをかけておけば、めぐりめぐって自分にも善い報いがくる」のどちらであるかと質問しました。

学生たちの解答は、@が80%で、Aが20%という結果だったそうです。「自己チュー」という言葉が流行る今の世相を反映しているようでもあります。

ところで、右のことわざの正解は、勿論Aであります。その点は『国語大辞典』(小学館)が保証しています。

なぜこの諺を持ち出したかと言いますと、この諺は、人への情けは人のためだけではなく、自分のためでもあると教えていますが、道元禅師はまず「利行」について、「利益の善巧をめぐらすなり」(人々に利益となるような手だてをめぐらすこと)と説明されており、「利行」と「情け」とは意味するところがよく似ていますし、また「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」とも述べておられますから、「人のためだけでなく、自分のためでもある」に通じます。

このように、道元禅師の「利行」と、右の諺とは意味がよく似ていますのでここに取り上げたわけです。

しかし全同とは言えません。というのは「報謝をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり」と述べておられますので、利行とは、自分への報いは求めないで、一方的に他者を利する行いであるとされているからです。

他方、諺の方は「めぐりめぐって自分にも善い報いがくる」というのが「人の為ならず」の意味ですから、自分への報いを考えているのであり、道元禅師の利行とは異なります。

それでは、道元禅師の言われる「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」の中の「自を利する」の部分はどのように考えればよいのでしょうか。

私は、他者を一方的に利するという行為(修行)が、「自分を忘れること」をもたらしてくれる、というのが「自を利すること」(自利)に他ならないのではないかと思います。

道元禅師は『正法眼蔵』現成公案の巻で、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」と述べておられます。

ここに「自己をわするる」ということが仏道だと説かれていますから、「自分を忘れること」こそ、「大なる自利」(仏道)と言えましょう。

そして、それは自分以外の他者(万法)によってもたらされるというのが禅師の立場であるように思われます。

(『海潮音』No.223 平成14年6月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。