松陰誕生地

松陰誕生の地 樹々亭山屋敷跡は、松陰の誕生の地です、父百合之助の妻滝子の父が百合之助に贈ったものです。ここで松陰は天保元年8月4日に誕生しました。後に父百合之助は、盗賊改方頭役についたため、現在の松陰神社内の杉家旧宅に引っ越しました。
松陰産湯の井 松陰先生が使われた産湯の井戸
   吉田松陰銅像 明治維新100年を記念して昭和43年(1968年)建立されました。松陰先生が弟子の金子重輔従え、下田沖の黒船を眺めている銅像です。題字は当時の首相山口県出身の佐藤栄作が書き、銅像は萩市出身の日展審査員長嶺武四郎の制作です。
萩の眺望 この地「団子岩」から、指月山の麓に広がる城下町を一望することが出来ます。
吉田松陰の墓 松陰の墓は表には「松陰二十一回猛士墓」、と刻まれてある。百ヶ日忌に遺髪が埋葬され建てられた。墓前には門人の佐世一誠(前原一誠)・久坂誠(玄瑞)・品川日孜(弥二郎)・伊藤和卿(伊藤博文)・高杉春風(晋作)・久保久清(断像)・岡部利済(富太郎)・増野乾(徳民)・福原利実・松浦無窮(松洞)・入江到(九一)・野村旨緩・中谷実之(正亮)・有吉良明(熊次郎)・天野一貫・作間昌昭(寺嶋忠三郎)・時山済(直八)17名が墓前に寄進した石製水盤、花立て、石灯籠がある。
周りには師の墓を囲むように門下生の墓が並んでいます。(高杉晋作・吉田稔磨・駒井政五郎・馬島甫仙・堀潜太郎他)、維新前後になくなった門下生達
(解説板、萩歴史スケッチより)

萩市街を見下ろす高台、団子岩と呼ばれる場所で、天保元年(1830年)萩藩士杉百合之助の二男としてこの地に生まれます。本名は矩方、通称寅二郎と呼ばれてました。松陰とその一族、高杉晋作、久坂玄瑞らの墓があります。