浄蔵貴所様の昔々のお話です
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浄蔵は、偉いお大臣の子どもとして 3月8日お生になりました。
その時、へやのなかは虹色に輝き花の香りが
漂ったそうです。
 
 
4才で全ての書物の読み書きが出来、
一を聞いて十を知り、7才にして
家を出て御坊さんになる事を決めました。

 もちろん、御屋敷では皆大反対です。
未だ7才なのですから。
その頃、お庭には梅が咲き誇っていました。
浄蔵は天に向かって念じられると、
お庭の梅一枝が、ご両親の前にひとりでに
たむけられたのでした。
御屋敷の人々は、みな浄蔵のお力に驚き、
誰も家を出て行く事を止められませんでした。

 それから浄蔵は、人里離れた深い山々で、
寒い日も暑い日も、修練を重ねて過ごしまた。










 12才の時、毎年7月15日に修行者が集まり霊角という念力を戦わせる
催しがありました。
修行者の中に、同じ念力を持つ者がいました。
その修行者の中に、同じ念力を持つ者がいました。
その修行者と浄蔵は同時に出て、先ず 浄蔵が石に対して念じると何と大きな石は、ひとりでに 「ドスン、ドスン」 躍り上がって上下しました。

修行者もまた念じましたが、石はびくとも動きませんでした。
両者互いに念じあううちに、石は遂に中程から割れて、浄蔵の前に
動いて来ました。

この不思議な現象に、皆仰天して、浄蔵に拍手喝さいをしました。















 藤原時平は、学問の神様と言われている
菅原道真に無実の罪を着せ、九州の大宰府に追放してしまいました。


 無念の内に亡くなった菅原道真の恨みを受けて、
藤原時平は、重い病気になってしまいました。

そこで浄蔵の父は 浄蔵を招いて加持祈祷をさせると、
藤原時平の両方の耳から青龍が頭を出して、
浄蔵の父に言いました。

「我は、無実の罪に陥れた者を懲らしめている。しかしあなたの子浄蔵の念力は、我を超えた。
お願いだ、浄蔵を立ち去らせよ。そして、時平に厳しい戒めを加えて、懲らしめよ。」

   と云って消えました。

 浄蔵が門を立ち出ると 時平はたちまちに死んでしまいました。












 浄蔵が熊野で修業していたとき
御父さんが亡くなりました。

浄蔵は、これを聞いて駆け帰りましたが、
すでに5日が経ち葬礼は出発しました。
浄蔵は北橋の上で葬礼に出会い、御父さんにすがって泣きました。

浄蔵は、その場で加持祈祷をしました。

 なんと、なんと
御父さんは息を吹き返しました。

蘇った御父さんは、北橋の上で、
浄蔵を伏し拝みました。
親として 子に礼拝したのでした。


その日から
この橋をもどり橋と言うようになりました.




    



ある年の夏、空也上人により、六波羅のお寺で大般若経多会がありました。
このとき物乞いが大勢集まった。
 その中に 一人のみすぼらしい坊さんの姿をした者がいました。

浄蔵はこれを見て大変驚いて 
上座に御招きしました。
 この人は 挨拶もしない、遠慮もしないで
上座に座った。
浄蔵が一杯の飯をさし出すと、パクパク食べ、飯400人分ばかりを食いつくしたので、
しかたなく又すすめると、さらに食い尽くした

 このみすぼらしい坊さんが、あまりに大食いなので、あっけに取られて見ていました。

 そこで浄蔵は加持祈祷して見送りました。

後で、はがまを見れば飯は元の通りに、はがまに戻っていました。びっくりして、
或る人がこのわけを聞きました。
浄蔵は 「あれは文殊大師が 仮のお姿で現れたのであります。」と答えた。
 居合わす者は皆々 感激して伏し拝みました。
 これ以後、人々は なおいっそう浄蔵を敬い そして
浄蔵も神仏が人の姿となって現れているのではないかと思いました。浄蔵も思いました、この地に住んでいたならば楽をして威張ってしまうかもしれないと。


 ひそかに都を去り 巡礼の旅に出ました、
たまたま十月出雲大社に行くと・・・ 毎年10月には日本国中の神々が御集まりになり、いろいろな政事をされる月であります。
浄蔵が床の下に伏して その有様を聞いておられると、
御話は、どの男と、どの女を赤い糸で結ぼうかと言う、縁組みの話し合いでした。
一人の神が言われるには 「ここに居る浄蔵は誰と結ばせたらよかろうか」と。
他の神が「いかのみことの娘がよかろう」と云うと神々は皆これに賛成された。
 浄蔵はこれを聞いて
「自分は修行のことだけ考えている。結婚はしない。そんな事は考えられない。」

 その後、都に帰る時、ある家の前でしきりに足が痛くなり、やむなく或る家に入ったところ
、その家の主人は丁重に迎えて宿をとらせた。
そして通された座に着くと 一人の女性が食事を出し、夜中になると、その女性はなつかしげに部屋に入って来て挨拶するので、
浄蔵はふと出雲大社のことを思い出し、名を問うと、女性は、「いかのみことの娘です」と言う。
浄蔵は驚いて「さては我が為には妖怪である」と叫んで、
手許に引き寄せ剃刀で咽を引き切って、
外へ逃げた。
  しかしその傷は浅く、その後 天皇のお目にとまり、御殿に召され妃となりました。
それからその妃が心の病にかかられ、誰にも治せず、浄蔵は命令を受け加持祈祷をしました。
 たちまち元気になられました。お喜びになられた天皇は、
思わず立ち上がって浄蔵を拝み、申されました。
「浄蔵のような念力を持つ者が、これから先現れる事は無いので、
妃を賜ってその子孫を残させよ」と命令され。
 妃は浄蔵の妻となりました。
浄蔵がその妻をよく見ると咽に疵があるのでそのわけを問うと、妻が答えました。
「私はもと、いかのみことの娘です、この疵は或る僧のせいです。」
浄蔵はビックリ仰天しました、
神の定めからは、逃れられない事を知りました。

 思いなやむうちに、二人の子をもうけてしまいました


 その頃京中の者が、うわさし合っていました。
八坂の塔の傾いた方向に必ず災難がある、
浄蔵は神であるから、八坂の塔を直すに違いないと言い合っていました。
 浄蔵はこれを聞いて
「自分は妻をもつ身である今、どのようなものであろうか」
 まずおのれの念力を試してみようと、二人の児をつれて、鴨川のほとりに出て水に向かい、
二人の児を左右において祈ると、
水はたちまち逆流し 三条、五条の橋の下は干あがって 白い河原となった。
そこでこのありさまなら心配ないと 八坂の塔を直す命令に応じた。

 6月21日、浄蔵が八坂の塔傾きを直すということが 京中に知れわたり、
京中すべての人々が集まりました。
 黒山のような人垣のなかで浄蔵は二人の児を左右に置き 塔に向かってしばらく祈ると、
西の方からそよかぜがが吹きだし、塔は揺れて振動し、吊るされた宝鈴がチリーンと鳴って、
傾いた塔はたちまち まっすぐなもとの姿にかえりました。
      見物の全ての人々は
     感激し喜び喝采しました 
国中の人が浄蔵を崇め敬い、神であるとか生き神様、生き仏様と尊びました。それから年月がたつうちに、
浄蔵は思いました、
 お釈迦様はこの世の贅沢や楽しみを捨て、
難行苦行をして遂に悟りを開かれた。 
 ああ自分はいったい何たるありさまか、
と涙を流して嘆いていましたが....






  ついに、66才にして妻子を捨て、
忍んで都を出ました。
 
 不動明王の尊い姿を学び、山伏の姿となって 神社やお寺をめぐりました。
再び出雲大社にお参りし、神に向かって
「昔、神の御結びによって思いもかけず結婚してしまいました。普通の人になったとはいえ、 これはすべて、前世の悪い因縁のためでありましょう。願わくば未来は必ず
 真実の悟りの都へ帰らせてください。」
 と涙を流して悔やみました。



 それから大仙、三瓶山、羅漢山など修行しながら・・・




ついに長州の高野山、高山です。
高山に登って 
黄帝様の現れられた御所を拝まれ、
弘法大師の御つくりになられた 
八相権現に参り、
 しばらくこの地に留まりたいと思いました。
先ず四方の景色を見ると、峯の高いところは常に白雲が 山の腰を巡り、
北の海は漫々と水をたたえ 九州、朝鮮の雲が往来し、幾百という島々はとても美しく、
この世のものとは思えませんでした。
 すばらしい景色に感激して見ていると、











  

 向こうの山の間から きれいな光がかがやきました。

 

これは不思議なことと思い、光を尋ねてゆくと 

   マテ潟の里に着きました。
     キャンプ場より山道徒歩20分


 木々ははうっそうと茂り 中に九折れの狭い道があり 左右の景色は大きな岩がそびえたち
麓を清い湧き水が流れ 龍神が住むようなけはいでありました。
 あれこれと風景を眺めると、又目を驚かすほどの岩が横たわっていて、
登ってみると 一段高い所に石造の観音菩薩が安置してあり、その不思議なそびえ立つ岩は 地の底から湧き出たのではないかと思われた、
さては光は この所からであったに違いないと思い。
 その夜はそこで泊まった。



夜中夢の中に 何処からともなく光が輝き、
よい香りとともに、観音菩薩が現れて
浄蔵に申されました。

「浄蔵、そなたはもともと 並の人間ではない、難行苦行をし、人々を救った。
然しながら人の寿命には限りがある。そなたも70才に及んだ。
ここは浄蔵にとって第一の地である。この地にとどまり待たれよ。」


 浄蔵は夢から覚めて眼を開いてみると、光は未だ消えず香もまだ残っていました。
浄蔵は観音菩薩の御跡を 伏し拝み喜びの涙を流しました。
 そして  この地に住んだ。

村人らは 生き仏様と浄蔵を敬い、我も我もと食物などを運んでもてなし、麓に寺を建てた。
浄蔵はたいそうお喜びになり、心静かに修業に励みました。
浄蔵が或る日 
 村人に語った。


「自分は永らく 皆から供養を受けた。結ばれた縁はどうして浅かろうか、
仏道を修業して一切の人々を救い 無上の道を求める為である。自分が死んだ後、
もし塚に向かって願い求めることがあれば、自分はその人の願いのままにことごとくこれを叶え、
縁を億万の人々と結び、ともに極楽浄土で会うことこそ 我が本願である」 
と。







 
11月21日  御年74才にして安らかに お亡くなりになられました。

 寺のあたりには おびただしい虹色の光が輝いたので、村人は火事ではないかと驚き、
我も我もと駆け登ってみれば、光の中に不動明王の御姿となられた浄蔵様は、
童子二人を左右につき従えて 花の香りに包まれ花びらが降りそそいでいました。

それから遂に西の空へと消えてしまわれました。
            
  不動明王様になられたのですねー

 それ以後 浄蔵貴所塚に御供え物をして、どのように忙しい時でも 
どのようにさし迫った事態の時も 必ず御祭りを行い、
いろいろな願いは たちどころに満たされたといいます。
   
      浄蔵貴所様  合掌

           

4月10日と10月10日は鏡山神社のお祭りです。
祭り前は草刈りや掃除をしますが、

夏は草が生い茂り、お参りには適しません
萩市で一番のパワースポット
鏡山神社の浄蔵貴所さまの紙芝居

 




   



 




 

  



  


 



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